朝、妻が母に「カレー食べる?」と聞いています
「(昨日の) カレー、美味しかった」と母。
その後に、「どうする?」と確認し直すと、母は「カレーでもいいよ」と答えました。
この答え方に妻がカチンときたようです。
(こういう答え方、今回が初めてではありません)
たとえば、A とB の二つの料理のどちらにするという場面。
母は「B で(も)いいよ」と必ず言います。
家風なのか、自分はこっちが好きで食べたいのに、そういう欲を人に見せないように、言い方を工夫しているらしい。
でも・・・
「〇〇でいいよ」という言い方
ネットにもありました。
その記事から引用すると・・
〈1〉妥協・譲歩のニュアンス「~でいい」は、その背後に別の本音があると、言われた人が推測してしまいます。
つまり、「本当は望まないけれど、仕方なく」といった妥協や譲歩が透けて見えるのです。そのため、やや“上から目線”の印象があり、恩着せがましく聞こえてしまいます。
ということなんでしょう。
言った本人にそんな意図はなくても、言われた方はそうは捉えません。
同じような記事⇩
ただ、妻が言うには、母が新潟に住んでいた頃は、家事をしてくれる女中や玄関を掃除する男衆 (玄関の外の掃き掃除は男の仕事なんだとか) がいたんだとか。
〇〇商店という店をやっていたようです。裕福だったんですね。お嬢様だったのかしら?
今は・・・
だから、小さな頃からそういう言い方をするように育てられたのが原因だと、妻は言います。
でも、昭和の時代はそれで通用した?のかもしれませんが、現在では全く通用しないどころか、逆に「何、この人?」と思われるだけ。
時代によって、考え方も変化しますからね。
やっぱり言葉選びには気をつけた方がよさそうです。
自分も気をつけないと。
昨日、骨波田の藤(長泉寺)/埼玉県 本庄市) に行ってきた妻と息子たち。
まだ、「四分咲き」だったようです。
5月の1日頃が見頃だとか。でも、ゴールデンウィーク中じゃねー、行く気がしません。
藤棚を見に行った帰りに芦ヶ久保の道の駅に寄って、母がタケノコを買って来ました。
とはいっても、買ったのをすっかり忘れているのか何もせず、妻が調理するともくろんでいるのか・・・。たぶん後者。
本当はすぐに煮ておかないとアクが出てしまうようなので、妻が慌ててタケノコを茹で始めました。
けっこう面倒だし時間もかかります。
でも、明日が楽しみです。
そう言えば、思い出しました。
タケノコの季節、「タケノコ責め」にあっているという羨ましい方を。